冬夏古典文庫 〇〇二
幸福について
アルトゥール・ショーペンハウアー 作/保科 隆明 訳
『幸福について』は、人生を苦しみと見た哲学者が、それでもなるべく幸福に生きる道を説いた本です。歯に衣着せぬ物言いが、ときにどんな励ましよりも効くことがあります。人の目に疲れたときにこそ、手に取ってほしい一冊です。
- 原作
- Aphorismen zur Lebensweisheit(一八五一年)
- 底本
- ドイツ語原典(Project Gutenberg)
- 構成
- 一冊
- 収録
- 訳者まえがき、凡例、解説
- 形式
- EPUB(縦書き)
- 公開
- 二〇二六年十月二十九日
- 価格
- 無料

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冒頭を読む
幸福は、たやすく手に入るものではない。自分の内に見つけるのはきわめて難しく、外に見つけるのは不可能だ。
――シャンフォール
はじめに
幸福論は、ひとつの方便にすぎない
ここで言う「処世の知恵」とは、もっぱらこの世の内側での意味、つまり、人生をできるかぎり快く、幸福に送るための技術のことだ。その手引きは「幸福論」と呼んでもいい。要するに、幸福に生きるための指南である。
では、幸福な生とは何か。せいぜい次のように定義できるだろう。純粋に客観的に見て――いや、ここで問題になるのは主観的な判断なのだから、冷静に、じっくり考えたうえで――「存在しないよりは、存在するほうが断然いい」と言える生。そうであれば、我々がその生にしがみつくのは、ただ死が怖いからではなく、生そのもののためだということになる。さらには、それがいつまでも続いてほしいと願うことにもなる。
人間の生がそういう生にあたるのか。そもそも、あたりうるのか。周知のとおり、私の哲学はこの問いに「否」と答える。ところが幸福論は「然り」を前提にしている。幸福論が立っているのは、人間に生まれつきそなわった、ある誤りの上なのだ。私が主著の第二巻第四十九章の冒頭で咎めた、あの誤りである。〔訳注:主著『意志と表象としての世界』続編のこの章は、「我々は幸福になるために存在している」という思い込みこそ、生まれつきの唯一の誤りだ、と述べて始まる。〕
それでもあえて幸福論を書くために、私は、自分の本来の哲学が導いていく高い形而上学的・倫理的な立場から、すっかり降りなければならなかった。だから以下に述べることはすべて、いわば一種の妥協の産物である。ふつうの経験的な立場にとどまり、その誤りを抱えたまま話を進めるのだから。当然、その価値も条件つきのものでしかない。「幸福論」という言葉からして、ひとつの婉曲語法にすぎないのだ。――また、網羅的であろうとも思っていない。テーマが汲み尽くせないからでもあり、そうしようとすれば、他人がすでに言ったことを繰り返す羽目になるからでもある。
賢者は同じことを言い、愚者は逆をやる
同じような狙いで書かれた本としては、カルダーノの『逆境から得られる利益について』しか思い浮かばない。たいへん読む価値のある本で、ここに書くことを補うにも役立つだろう。アリストテレスも『弁論術』第一巻第五章に短い幸福論を織り込んではいる。だが、まったく味気ない出来だ。私はこうした先人を利用していない。寄せ集めは私の流儀ではないし、なによりそんなことをすれば、見方の一貫性が失われる。そしてこの種の書物の魂は、まさにその一貫性にあるのだ。
――もっとも、総じて言えば、いつの時代も、賢者たちは同じことを言ってきた。そして愚者たち、つまりいつの時代でも圧倒的多数を占める人間たちは、いつも同じこと、すなわちその正反対をやってきた。この先もそれは変わらないだろう。だからヴォルテールはこう言う。「我々はこの世界を、やって来たときと同じくらい愚かで意地の悪いまま、残していくことになるだろう」
『幸福について』の冒頭です。続きはEPUBでお読みください。ダウンロードへ



